灰汁抜き帳

ふと考えたことを書きます

ジレンマっていう程でもない

うん、まあタイトル通りなのだけれど。


僕は頭が良くない。

お勉強ができないという意味でもそうだし、

IQだとか、要領の良さなんかにおいても明らかに賢いとは言えないと思う。

だから、頭が良い人間に憧れている。


頭の良い人間は、恐らくだけれど沢山本を読んでいる。漫画じゃダメだ。

漫画も読んだって良いけれど、それはきっとあまり人が知らないような芸術的な何かでなければならない。


頭の良い人の読む本はきっと難しい。

僕が読もうとすれば眠くなる、何故なら理解を超えているからだ。

わからない単語を一々調べているうちになんだか面倒になって、ついソシャゲの体力消費に熱中してしまうに違いない。


でも、そんな難しい本だからこそ僕は読みたいわけだ。どうせ知りもしない作家なら、難しそうな方がなんだか魅力的に見える。難しそう、というだけで。

読みたいと思わない本だからこそ読みたい、そんな見栄を張った矛盾がある。


まあ数ページで飽きて僕ははてなブログに久しぶりの記事を書いているんだけどね。

「ファンなら〜」の圧力が怖い

あいも変わらずオタクをやっている。


私がハマっているのは原作がゲーム、そこからアニメやソーシャルゲームなどに派生しているタイプのジャンルである。

メディアミックス展開している作品には有りがちだが、自ジャンルでは媒体によってキャラクターの設定等が少しずつ違うものになっている。

キャラデザがまず少し変わるし、ゲームにはないアニメ独自の設定と、逆にアニメには反映されてないゲームの設定が混在していて、

ファンの中でも「ゲーム軸」「アニメ軸」「両方」と立ち位置が変わる。


さて本題に入ろう。私は、

「本当のファンなら全てを受け入れられるはず!」

という理論が受け入れられない。


え、良くない?全部受け入れるのが無理な人もいるでしょ……。

推しが突然髪を切ったら、長髪萌えのファンは萎えるかもしれないし。

推しに彼女が出来たら、ガチ恋勢のファンは受け入れられないかもしれない。

でも、それを無視してそれまでの推しを愛でるのは勝手じゃないか……?ダメなの?


公式は公式。否定する気は無いけれど、受け入れられない時は距離をとっても良いんじゃないでしょうか。

距離を取った結果、今私はジャンルの対象から外れてしまって展開が受け入れられないんだなって気付くこともあるし。

公式の展開に文句を言うのは確かにジャンル者として不快になる人もいるでしょう。

ジャンルなんて思い通りになるわけないんですから。だから、意に反したところに文句言うんじゃなくてなんとなーくスルーするくらいは許して下さい。


と思って暮らしているんだけど、いるんですよね、「ファンなら全てを受け入れなくては」の呪いにかかってる人。

ジャンルの対象からもう自分が外れてて、でもまだ好きで、現ジャンルの展開が受け入れられない自分が嫌になっちゃう人。

もう少し肩の力を抜いても良いのになぁ、と思うんですけど、逆に私みたいなのは「適当にファンやりやがって」と思われてるんですかね。

メタフィクションの粗製乱造

10月から2期が放送開始となった人気アニメ『おそ松さん』。

私も1期から見ているが、1年半ぶりの復活とあってファンの期待も高い。

だが、私の周りではその2期の1話「ふっかつおそ松さん」を期待外れであると断じている視聴者が多かった。かくいう私もその一人である。当然、優秀な製作陣のことであるから、今後のストーリーを見ればその評価が一変するのであろうと思う。しかし、この第一話だけを見た段階では受け入れることが出来なかった。その理由について、今のうちに少し考えてみたい。

ただ私が此処が気にいらなかったんだろうなってことを書いていくだけなので、あくまで個人の不満であり、私の為に作ってるわけじゃないということは重々承知しています。

 

今回のあらすじは以下の通りである。

『おそ松くん』時代の六つ子が、自分の未来の姿をテレビを通じて見ようとする。そこには、第1期のヒットを受け、増えた収入や得た人気に胡坐をかいて自堕落に暮らす彼らの姿が映っていた。そして、その状況に対し不満を抱くデモ隊が松野家に突入し、六つ子が制裁を受け、彼らの家が破壊されるといったオチでその映像は終了する。自分たちの未来の姿に嫌気を覚えた六つ子らは、その未来を回避するために努力をし、成長した長男おそ松は家庭を持った一般的な成功者として再度登場する。しかし、成長した六つ子はそれぞれ映像作品の主役として、ステレオタイプ的なキャラ付けを新たに得て再集合するのだった。無事にちゃんとしたアニメ作品になったと安心する六つ子達だが、前回同様デモ隊によっての制裁を受ける。努力しようがしまいが成功はないと断じるナレーションが流れ、それを聞いた『おそ松さん』時代の六つ子たちは絶望する。

 

おそ松さん』1期1話のタイトルは「ふっかつおそ松くん」であり、『おそ松くん』をイメージした白黒の画面からスタートしカラーの画面へと遷移する構成など、2期1話がこれのセルフパロディなのは疑う余地がないと思う。両者に共通する特徴として、何度も自身らの行動が「アニメ」になっていると六つ子が告白している点がある。

1期1話では視聴者に『おそ松さん』がアニメ作品であることを強く意識させた上で、本来制作者に操作される側であるはずの登場人物(六つ子)達が自ら作品のプロデューサーとなりその方向付けを行おうとする事に起因するちぐはぐさが視聴者の心を掴んだ。

対する2期1話では、1期の成功という現実の出来事を受け、本来作中人物が受け取れるものではないその報酬を彼らが受け取っているというおかしさがまず作中に現れていた(Aパート)。Bパートでは、方向性こそ違うものの狙い自体は1期1話と同様に作中人物が作品をプロデュースしようとするおかしさを見せることだろうと思われる。

おそ松さん』お得意のメタフィクションを扱っておきながら、何故思った通りの効果を上げられなかったのか。そこには4つの障害があった為だと考えられる。

一つの障害として、キャラクターのファンが求める姿を提示できなかったこが挙げられる。

六つ子はそもそもニートでろくでなしという一般的に好意を持たれないキャラクター設定を持っている。その為、1期では下半身を露出する、兄弟に金の無心をする、自慰姿を兄弟に見られる等の扱いを受けてきた。この作品は下品な要素の多いコメディーアニメであり、その登場人物である六つ子には決してアイドル性は存在しなくても当然である。

一方で、1期1話から登場している彼らと同姓同名のキャラクター、通称「松6」は過度に美化された存在であり、女性ファンをターゲットにしたキャラクター造型をされている。同作品内での同姓同名のキャラであることから、彼らは同一人物として捉えられることが多く、「松6」の存在によって六つ子にはある程度のアイドル性が付与されていると言える。

そして、アニメ放送が中断されていた間にもソーシャルゲームでは『おそ松さん』は展開を続けていた。私はそこまでは追っていなかったので詳しくないのだが、コスプレをした六つ子たち(通称:派生松)が存在するらしく、その造形は元の絵のデフォルメの可愛らしさも相まってとてもキャッチ―で魅力的なものが多いように記憶している。キャラクターグッズで商売をしていくうちに、コメディーアニメの登場人物というイメージをそれぞれのキャラクターに与えられた記号が塗りつぶし、彼らのアイドル性を強めていったのではないだろうか。

そうした展開になれていたファンであれば、これまでの人格者とは言えないふるまいは既知のものとして受け入れられたとしても、変わり果てた彼らの姿に拒絶反応を示したとしても仕方がないのではないだろうか。俗っぽく言えば、「但しイケメンに限る」状態であった六つ子から愛嬌を奪ってしまった時点で、キャラクターのファンにとっては不快さの塊でしかなくなってしまったのではないか、と危惧される。(しかしながら、彼らの見た目が変化するのは決して今回が初めてではないので、この指摘が的外れだと感じる人がいるのもまた当然だと思う。)

 

二つ目の障害は、風刺の対象の選択ミスである。

Aパートでは一発屋となった六つ子の姿が描かれていた。続いて映るファンに対し、イヤミは「目を覚ませ」と説得し、応じない彼女たちに対してチビ太が「完全に目がイっている」と発言する。前項で述べたとおり、本来好ましくない造形をされたキャラクターに熱中している状況というのは客観的に見て異常である。製作陣はそれを明らかにすることで笑いを誘おうとしているのだろう。確かに、面白いと思う。ただそれを面白いと思えるのは、おそ松さんを楽しんでいる視聴者のメインターゲットだろうか。

年始にやっている人気番組に、『芸能人格付けチェック』というものがある。高級品と廉価の品を比べさせ、高級品をあてさせるというものだが、この番組の狙いはむしろ、廉価なものを高級品だと思い込んでいる芸能人を笑いものにすることである。この状況を2期1話に当てはめて言うなら、六つ子(廉価な品)を好ましい存在(高級品)だと思い込んでいるキャラクターのファンを笑いものにしていることになると思う。勿論キャラクターのファンではない視聴者にとって、そんなファンの姿は滑稽であろうし、それを作品自体が揶揄していく攻めの姿勢は面白く映るかもしれない。だが、同様に作品を楽しみにしていたはずの一部のファンにとっても同様にそれは面白かったのだろうか、という疑問が残る。

ヒロインであるトト子が「作れば売れる」と発言していた。まさか本当に開発会議があの調子で進んでいるとは思わないが、見ていて嬉しいものではない。これもまた、一部のファンを笑いものにする負の風刺ではないだろうか。こうした受け手を限定する笑いのいやらしさみたいなものが、Aパート全体に漂っていたように感じる。

 

 三つめの障害は、説明のくどさである。

自分で自分のギャグを説明するほどつまらないことはないと個人的に思っている。そもそも笑いとは何なのか。

 ですから、最初に作られた概念と不一致な現実が発生することはよくあることで、現実と概念に不整合が起こることがあります。笑いとはこの現実と概念の不一致の表現であり、不一致の幅が大きければ大きいほど笑いも大きくなるのです。

例えば、道を歩いていて、綺麗な形をした石だと思って手にとったものが犬の糞だったらつい笑ってしまうでしょう。これは石という概念と、犬の糞という現実の不一致によって起こった笑いなのです。

jmatsuzaki.com

 ここではBパートについて話をしたい。Aパートがその悪意から面白さにまでたどり着かなかったとすれば、Bパートはそもそも面白くなかったのだと私は思う。

Bパートでは「ちゃんとした」おそ松の姿が描かれる。白黒画面で勉強に苦心している姿が描かれたのち、場面が転換され、結婚して家庭を築き、仕事に向かう様子のおそ松の姿が等身の高い絵柄で表現される。このとき、視聴者の想像する「ちゃんとした」六つ子というのは、ニートであった1期本編に反して職に就いた姿であろう。しかし、その予想に反してカラ松はサイボーグとなって現れる。ここに笑う余地としての「不一致」が用意されているのだと思う。ただ、おそ松はそれをこともなげに「ちゃんとしている」と受け入れ、彼らの「ちゃんとする」というのが「魅力的なアニメキャラクターの要素を取り入れる」ことであると先に説明してしまうのである。こうした説明過多な演出が残り4人の兄弟分進むのは正直退屈だった。「ラブコメか!クレイアニメか!」など、こっちにもリアクションを残してほしかった。加えて毎回挟まれる「ちゃんとしてる」という言葉は、無理にはやらせようとした一発ギャグのようにテンポを悪くしていると感じた。個人的には、チョロ松とトト子を入れ替わらせておきながら、何故かその設定を放置してチョロ松の体がマシンに乗り込んだことに誰も触れなかったのが意外だった。

 

四つ目の障害は、構造の分かりにくさだ。

「ふっかつおそ松さん」で最初に登場する白黒の六つ子を六つ子(A)とする。彼らは未来の自分をテレビを通して見るが、これらを六つ子(B)とする。六つ子(B)が1期の成功を知り、その恩恵を受けていることから、1期で登場した六つ子の延長上にある存在だと推察できる。一方で六つ子(B)六つ子(A)によって観測されるifの姿であり、六つ子(B)は自分たちが「一発当てた」と証言しつつも、アニメの存在については触れない。六つ子(B)を見た六つ子(A)はその未来を回避するため、努力をする。ナレーションが流れ、Bパートでの変化を遂げた六つ子(これを六つ子(C)とする)は六つ子(A)の成長した姿である。ここに画面は存在しない。にも拘らず、そんな六つ子(C)のアニメを観測している白黒の六つ子(D)が登場する。六つ子(D)六つ子(A)と同一ではない。六つ子(D)が登場している場面から「大人になり」というナレーションを挟むと、1期で見慣れた六つ子の姿(六つ子(E))がある。恐らく六つ子(D)が成長した姿だろう。六つ子(E)は見た目こそ1期の彼らと同じだが、同一存在かどうかは定かではない。

叙述クイズか何かだろうか。

夢から覚めたと思ったらまた夢だったなんて可愛いものである。六つ子(A)がアニメとして見られていると思っていないBを観測し、そのAが成長したCのアニメをDが見ている、というアニメを視聴者は見せられている。つまりはBAD←視聴者というわけなのだが、この構図がとても分かりにくい。一体どれが虚構で、いったいどれが正史なのか。こうしたナンセンスさは1期に通じて存在した(多数登場人物が死ぬ1期8話Aパートに対して、彼らが復活しているBパートなど)が、一話に詰め込まれると中々厄介だ。

結果として、「何が起きているのか分からない」といった感想が浮上するのも無理はないと思う。

 

こうしたわかりにくさ、単純なつまらなさ、一部を攻撃するようなネタなどが原因で、2期1話を受け入れることが出来なかった視聴者が出たのではないだろうか。

先行で2話を見てきたファンたちは口々に「面白かった」とツイートしている。2期2話に期待したい。

初めまして

余所でこれまで二次創作小説とかを書いていたのですが

所轄原作厨であるところの私は

キャラクターの考察をしているに過ぎないのでは、と思い始め

体裁を気にせずかけるホームとしてブログを選びました


このご時世にブログをするならここしかないだろうというミーハーな気持ちで

あと昔書いていた頃とはスタンスが違うので

ここはてなブログをセレクト


いつまで続くかわかりませんが、考察厨らしく考えたことをつらつら書けたらと思います

よろしくお願い致します